僕とハーモニカ



平成29年3月
竹本  修(さいたま市在住・野洲市出身)

  平成16年11月5日〜6日我々11名が群馬県の四万温泉に行った時の事であります。
  友人の今井浩君が夕食時に小さなケースから、取り出した長さ16センチほどのハーモニカは使い込んでいるせいか鈍く銀色に光っていました。
好きな歌は?と尋ねられると、浜千鳥の演奏が始まりました。
  眼を閉じ気持ちを込める様に吹く、演奏後も何とも言えない余韻が残っていたものです。
  彼は何時の間に練習、上達したものだろう。僕もその場で借りて50年ぶりに吹いてみました。
  僕は小学校4年生頃から、中学生にかけて家にあったハーモニカを吹いて音を覚え何とか歌が吹ける様になったものです。初めは、おててつないでや、お正月など極易しいものでしたが次第に歌の幅も広くなってきたのを覚えています。
  さて、話は一転しますが、平成25年6月に妻が亡くなり、その秋、坂戸嵩弘君と会ったとき、お前何もやらないとボケてしまうぞ、旅行の時ハーモニカが吹けてたではないか、それをやったらと言ってくれたので65年ぶりに始めてみました。
現在南浦和公民館で男女8名が毎週金曜日の午後、練習を行っています。
  専ら懐かしい唱歌が多く独特の音色が郷愁を誘い、豊かな自然の中、夢中で遊んでいた子供時代に戻った気分になる。そして仲間たちの雑談の時も子供の時の思い出話に華が咲きます。
  僕以外の7名の方は譜面が読めますが、僕は見よう見まねなので譜面は読めませんが音程さえ分れば演奏できるのです。音程が分からない歌はYouTubeで音程を聞きテープレコーダーに録音し何度も頭に叩き込みことにしています。
  年1回の文化祭の発表会、老人ホームの慰問などありますが僕には譜面があっても無くても同じことなのです。発表会の時も練習の時も譜面を見て演奏している振りをしているだけです。ハーモニカは仲間との交流にも一役買ったと思います。僕も80歳、これから音譜を読む努力もやるファアイトもありませんが、今後も今迄通りに楽しんで行きたいと思っています。