近 江 の 歴 史
平成29年9月

横田 昇(長浜市出身 さいたま市在住)

  日本の中央にあり、千年の都京都に隣接し、東海道・中山道・北陸道などが発達した近江、更に琵琶湖の
水運が開けた近江、それだけに歴史と共に多くの人材を生んでいる。  
  先ず、比叡山に延暦寺を開き、天台宗を樹立、その後の仏教の祖となった「最澄」。延暦寺からは法然の
「浄土宗」、親鸞の「浄土真宗」、日蓮の「日蓮宗」、道元の「曹洞宗」、栄西の「臨済宗」等々延暦寺は
日本仏教の母山とも言われている。最澄は大津坂本の出身である。  
  次に、近江武士団である。江南の六角佐々木氏、江北の京極佐々木氏その後江北を支配した小谷城主の
浅井氏である。更に信長から信任された蒲生氏郷、石田三成等である。  
  第三のグループは近江商人である。五家荘の高田、松居、藤井家。近江八幡の西川家、伴家、森家。
日野の正野家、中井家等々巨万の富を積んでいる。彼らに共通していることは熱心な仏教徒で、簡素な生活をし、
資産を惜しげなく人々や神社仏閣に寄付していることである。  
  第四のグループは学者・芸術家である。初代の遣唐使小野妹子、庭園・茶道の小堀遠州、陽明学の
中江藤樹等々である。  
  近江の歴史=日本の歴史を更に古代にさかのぼると意外なことが判明する。  
  それは日本の歴史そのものである皇室系図である。  
  初代の天皇は「神武天皇」で、現在の今上天皇は125代となる。しかし神武天皇の在位期間の長さから神話的と
考えられる。15代「応神天皇」から実在が確かめられる最初の天皇でる。その後25代の[武烈天皇]の死後王子が
絶えたため応神天皇五世の孫である26代「継体天皇」を擁立したと「古事記」にも「日本書紀」にも記されている。  
「継体天皇」は、近江坂田にいて、のち近江三尾(高島市)に移った父・彦主人王と、越前三国の振姫(ふるひめ)を
母として誕生した子である。西暦449年生、531年死となっている。天皇となった継体は9人の妃のうち2人は高島から
更に近江坂田から2人の妃をめとっている。(坂田=現長浜市・米原市)そのうち1人は米原市近江町・醒ヶ井あたり、
天野川流域を支配した「息長氏」、もう1人は長浜市あたり、姉川流域を支配した「坂田氏」である。継体の支持母体
として近江の豪族が大きな位置を占めている。  
  妃の中でも「息長氏」出身の広姫が重要である。広姫の孫が、 欽明天皇であり、天智・天武天皇からは「皇祖大兄」
と呼ばれたように、始祖的な存在であったのである。その後の天皇からは広姫を顕彰することは、その王統の正当性に
かかわることであったと考えらている。広姫の墓は長浜市と米原市山東町境の村居田に「広姫息長墓」として現在も
祀られている。  
  その他古代近江を支配した豪族は伊香氏、犬上氏、蒲生氏、甲賀氏、和邇氏、小野氏、近江氏等である。
豪族の名前は現在の国名・郡名として今なお残っているが、近年平成の大合併で消滅の危機に瀕している。  
古代から近江は地形的にも人材的にも日本の中心に存在している。