白 い 杖 の 青 年


 平成30年4月
 北村 郁子(さいたま市在住)

  その青年に初めて逢ったのは,昨年の春の彼岸の頃でした。川越線の日進駅
の改札を出ると私の5~6M先に白い杖を持って歩く青年がいました。
  その先の角にコンビ二があり、店の角に横倒しの自転車がありました。しかも
前輪が道に出ています。このまま進めば必ずあの杖の先が自転車に触れる。
  私が走っても追いつけない距離です。案の定、彼の足は止まり杖の先で道を
探している。

  歩き出した青年に追いつき「手を肩にどうぞ。」と声をかけて一緒に歩き出した。
「どの辺にお住まいですか?」聞くとこの道の先にりそな銀行があり、その前に
1階に洋品店があるビルだと答えた。(この道とは七夕通りといい、毎年8月
5,6,7日に日進七夕祭りが行われる通りです)駅から600M位の距離です。
「そのビルなら知ってますよ。一緒に歩きましょう。」と歩き出した。
  この道は電線を地下に埋めて、一方通行になるなど私の知らない情報を教え
てくれた。どんな仕事をしているのかしらと思いながら帰ってきた。

  その次に逢ったのは、半年くらい経った頃でした。改札を出ると6M位先に
あの青年が歩いていた。肩を貸しながら歩いていると、「どの辺に住んでいるの
ですか。」逆に聞いてきた。「宮前中学校の近くです」と答えると「僕は宮前中
学校の二期生です。」「私の息子は四期生です。」と私はこたえた。
「では成人になってから失明されたのね。」「21歳の時、事故と病気で失明し
ました。この辺りはよくバイクで走っていました。」

  そうか、角に八百屋があり向かいには美容院があり、その先には花屋がり・・・・
彼の脳裏には26年前の日進、この街の姿が残っている。昔は小さな駅が今は
エレベーター付きの駅舎になり、駅前もロータリーが整備され綺麗になった。
でも彼にはこの風景は見えない。

  私は駅に戻り左折して家に向かった。この坂を下り、この橋を渡り、グランドの
横を通って学校に通っていたのだ。今はハンデイを持って生活をしている。
でも、目が不自由でも立派な人は沢山いる。健常者の私が足元にも及ばない
人は多い。

  私は彼に同情はしない。でも駅で出会ったら彼の目になって歩きたいと思う。

                                 おせっかいおばさん