原発事故で思うこと
橿原 隆(越谷市在住)
  東日本大震災では多数の犠牲者が出て、福島原発事故では、大勢の方が避難され
ました。
  あれから7年、今なお多くの避難者が、我が街越ケ谷市にも避難生活されています。
  復旧はそれなりに進んでいるのでしょうが、その歩みは遅々としています。私は特別
信心深い訳ではありませんが、困窮者が目の前に居るのに放っておく訳にはまいり
ません。
  震災前月の2月に義母が逝去し、それまで1人で住んでいた離れ家が空いた為、越谷
市役所へ行き、困窮者の為に役立つなら避難場所として活用してほしい旨申し入れま
した。その翌日直ぐに市役所から電話があり、希望者が居り早々に家を見たい、伺い
たい旨の話がありました。   
  会ったとたん、いかにも疲れ果てた女性がその兄と共に家に来て、是非にということに
なり話がまとまりました。そうして、我が家に震災直後より1人の女性が、犬を連れて
避難されて来る事となりました。そして6年居られて昨年3月に福島県に帰郷されました。
同じ福島県二本松市に災害公営住宅が出来て何度か抽選に外れた末、やっと当選し、
引っ越しされました。  
  元々の自分の家があるにもかかわらず長屋に住む事となり、その気持ちは察して余る
ものがあります。同じ境遇の人達ばかりの災害公営住宅です。地元浪江町からは離れ
ていますが、木造2軒長屋の1軒が新しい住居となりました。
  6年の同居生活で彼女とは親戚あるいはそれ以上の親密さとなり度々訪問するように
なりました。原発そのものの是非を問うつもりはありませんが、長年住み慣れた故郷を
追われ、帰る目途が立たない異国での生活を送り続けることは非常に不幸なこととしか
思えません。物理的な損失以上に、苦しみや悲しみがそこにはあるでしょう。
  避難者の方が1日も早く元通りの生活に戻れる日が来ることを願わずにはいられま
せん。