私の履歴書 切り絵人生


 平成31年1月
奥村 次雄(春日部市在住)

昭和16年 岡山市玉野市生まれ
昭和20年 終戦にて草津市帰郷
昭和35年 八幡商業高校卒業後 東京・日本橋堀留町 呉服問屋
            (株)田源(愛知川出身・創業200年)に入社
昭和37年 東京織物学校卒業
昭和47年 結婚 昭和49年丸紅大阪本社・繊維部に出向(浴衣の出来るまでを修得
昭和50年 講談社インターナショナルのブックデザイナーでユネスコ本部所属
              切り絵作家 宮田雅之と出会う
 当時の田源は京呉服問屋で夏場は全く暇であったが一方、浴衣問屋は高度成長期であり売り上げ好調で年間1000万反の販売を記録していた。そこで社長に綿反物に負けない京呉服らしい浴衣「宮田雅之切り絵ゆかた」を提案、宮田氏からの協力も取り付け年1万反・3年3万反、ロイヤリティー1反200円でスタートした。製作の準備も出来、更に販売計画・実行も含め全て私の役目となった。
 それには宣伝第一と考え業界新聞・雑誌広告等と活用したが中でも青年座の研修生60名の協力で銀座・新宿・原宿で切り絵浴衣の大パレード、又銀座歩行者天国で外人との撮影会実施と大評判となった。従来1反単位の販売であったが1万反の販売を目指し全国問屋に販売攻勢をかけ従来の浴衣問屋まで販売に成功し私自身驚いたものである。しかし商売は売れている時に打ち切ることが大事との私の持論があり3年で無事成功裏に終了した。  
  その後切り絵が好きで好きでしょうがなくなり仕事の合間に続け、ある日宮田氏に弟子入りをお願いしたが、「独学で始めたのだから自分の感性のままの切り絵に個性がある」との言葉を頂き一人で作成に励んだ。数か月後訪問し作品を見せたところ「きっと良い作品ができるよ」との一言が私の切り絵人生を決定づけた。  
  平成元年に初めて個展を実施、平成18年退職後全国各地で個展を開き最近では、松尾芭蕉「奥の細道紀行」、「富士百選紀行」、「安土城」、「永源寺」等制作している。  
  芭蕉は「人生は旅」だという。「日々切り絵にして、ひたすら切る」ことが私の旅であり、人の一生、その曲折や通り抜けていく心の遍歴が旅といえる。つまり体や心を動かすこと、 読書とか音楽を聴くとかみんなで集まり話すことも旅と思う。私は知らない人でもすすんで話しかけるようにしている。充実した旅にしたいから。そういう意味から芭蕉は毎日が知らない所、知らない人と出会う旅の連続でありそれが同時に人のすみかだと言っているのである。 私の旅は「切り絵」で始まり「切り絵」で終わる旅であり平成最後の心に残る旅にしたい。