台風19号に荒れた越辺川(おっぺがわ)


令和1年11月
馬場 孝師(川島町 在住)

  越辺川は黒山三滝を源に川越と川島を結ぶ落合橋までの30kmの川で東松山市の高坂橋付近で高麗川が流れ込み、落合橋近くで入間川と合流し、最終的には荒川に流れ込んでいる。決壊し浸水被害の模様が報道された特養キングス・ガーデンは、落合橋手前越辺川が大きく左に曲がった先にある。我が家は、上流の天神橋近くの左岸の団地にあり越辺川の土手と目と鼻の先である。  
  台風19号の関東直撃予報に今度ばかりは本当に危ないと2Lペットボトル6本入りの飲料水3箱を購入した。21日土曜の朝9時には町からの自主避難場所開放の連絡メールでスマホが鳴り、14時15分には台風接近に伴う大雨による各河川水位急激な上昇予測に、町内全域(8094世帯、人口約2万人)に警戒レベル3の避難準備情報、高齢者避難開始が発令された。15時には警戒レベル4の避難勧告が町内全域に発令され、これはもうダメかも知れないと妻と避難を決意したのは16時頃だった。  
  指示された近くの中山小学校に車で向かったが、もう既に駐車する余地はなく少し離れた中学校に向かった。駐車場は半分ほど埋まっていたが未だ余裕があった。様子を見に来ただけで何の用意もして来なかったので一旦自宅に戻った。
途中コンビニに寄り、残っていた商品の中から肉まん、から揚げ、あられ、カップラーメンを買った。帰宅後十数年使っていなかったシュラフ(寝袋)を大きなポリ袋に、折りたたみのクッション、ダウンジャンパー、ロウソク、LEDライト等を慌てて大きめのリュック2つに詰め込んで引き返した。  
  この間に駐車場は一杯になり、車をグラウンドに停めるように指示された。 避難して来た人々で玄関下駄箱付近はごった返していた。三階上の教室が開放され、多くの老若男女で埋められつくされていた。「起きて半畳寝て一畳」と決め込み教室前の廊下に広げたシュラフの上に座り壁に寄りかかった。  
  避難場所の校舎で友達と傍若無人に興奮気味に話す子供達、廊下を走り回る小学生達、ダダをこねる乳幼児、そんな中を唯ひたすら台風の過ぎるのを黙ってじっと我慢している大人達。私自身はいつ自分の我慢が閾値を超えるのかと自制心に不安を覚えながら持参した文庫本を読んで気を紛らわしていた。  
23時を過ぎた頃、ピタリと風雨が止み自宅に戻る事にした。団地に入ったところ、道路が30cmほど冠水していたが自宅は無事だった。自宅の前の遊水地の水は道路に溢れ出す一歩手前だった。天神橋に川の様子を車で見に行ったところ、対岸の坂戸側が冠水しており慌てて引き返した。濁流は100mの川幅一杯に広がり、轟々たる音を立てて右岸の自宅団地側に越水する勢いであった。  
  今回の台風での避難経験からラジオ、カッパ、軍手、救急箱、非常食、飲料水等を備蓄し、何をおいても早めに避難することだと思った。また台風の川の様子を見に行くまいと思った。 静けさを取り戻した越辺川に、もうすぐ例年通りコハクチョウ達が訪れる。 中山小学校校歌♪おどれ若鮎、越辺の岸に…、いつもの穏やかな川であり続けて欲しい。