原風景 ・・・・・ 八幡堀と琵琶湖
令和3年8月
中村 文雄 (近江八幡市出身 さいたま市在住
  五月晴れの八十八夜の頃、家の裏の茶畑で家族総出での茶摘み、上半身裸の親父と兄貴の汗だくの茶揉み、それから茶畑での楽しいみんなとの昼飯,弾けるような笑い声が思い出されます。中村家は大家族で3夫婦と小姑2人の8人家族でした。専業農家として朝早くから夜までよく働く家族でした。
  牧の水泳場へは7、8月はほぼ毎日行っていました。砂利道を自転車で約1里灼熱のなか通いました。その中での冒険は牧から対岸の長命寺までの遠泳でした。そこで思い出されるのは、腹の下にぞっとするような冷たさを感じたことです。必死に前に泳ぎ出ると生ぬるい水に変わりました。生きたここちがしませんでした。湖の中に川が流れていたのです。当時田に出て誰もいない家の昼飯はチキンラーメンでした。湯をかけてすすったあの味は格別でした。
  盆踊りは夏祭りの一大イベントでした。江州音戸は音頭取りが櫓に上がり物語を次々と謳いあげ、その周りの踊り手は幾重もの輪になり合いの手を入れ盛り上げます。左義長祭りも特徴のある祭りでした。穀物を題にして山車を作り、化粧した若衆が赤い長襦袢を着て山車を担ぎ八幡神社に集まります。そしてその山車の出来栄えを競うのです。
  秋は酒米にもなる江州米の収穫期です。豊かな近江盆地の恵みです。しかしながら天井川がそれを洪水で根こそぎ持っていきます。八幡にも日野川という暴れ川があり堤防の決壊を何度となく経験しました。不謹慎ながら川を偵察に行きました。濁流が水嵩の増す堤防を削ぎ取っていく様子は荒ましい光景でした。橋の上から足を震えさせて一目散に帰りました。  
  今毎日が日曜日。暇に任せ時代劇チャンネルをよく見ます。その中でも鬼平犯科帳のファンですが、八幡堀のシーンがちょくちょく出てきます。元川端市長が臭気漂うどぶ川を改修し今の八幡堀に生まれ変わらせたのです。番組の最後に後援「八幡堀を守る会」とテロップで流れるのが楽しみです。