[新しい生活様式の実践] その11「怠け者の節句働き」
 
令和3年2月
家庭菜園研究家 山田 正
   
  1月1日~3日 畑と通路の間に板を埋め込む土砂流出防止工事をする。土が凍っていて掘るのも苦労、暖房用に暮れまでに集めた建設会社から貰った木端(こっぱ)の中から長めの板を探して一直線に連ねるのも一苦労。
  4日 大晦日には突風が吹き荒れ、溝に肥料袋やビニールポット、枯れ枝が大量に集積、氷を割ってそれらを熊手で拾い上げて焼却する。
  5日 キヌサヤにもみ殻を一掴みずつ被せる。「寒肥は効く」という申し伝えに従ってそら豆とニンニクの足元に馬ふんを埋める。
  6日 畑に水を確保する為に、仲間からドラム缶と驟雨用の波板を貰い、搬入。
  7日 松飾を畑で燃す。埋めておいた大根とかぶを掘り出し、七草粥の材料確保。 以上はこの正月の農事日誌からの抜粋です。  
古来中国では1月7日は「人日(じんじつ)の節句」です。正月1日は「鶏の日」、2日は「狛(犬)の日」、3日は「猪(豚)の日」などと決めて、その日には殺してはならないとされていました。7日は「人の日」でその日に犯罪者の刑罰は行わない日とされていました。そのあと年内に4回の節句があります。    
  昨年の夏にお盆も休まず農作業をしていて、畑仲間に自慢げに話したら「それは怠け者の節句働きと言うんだ」と教えられました。普段プラプラしていて,皆の休むときだけ目立とうとして働く者を嘲った言葉だそうです。  
  幸い今年の正月の間には誰も来ず、怠け者の恥をかくことはありませんでした。
  私事で恐縮ですが、私の長男は病院の薬剤師をしています。医療従事者はコロナ菌を運ぶのではないかとの偏見の目で見られることもあるようです。
  人間が死ぬか生きるかの瀬戸際に立ち会うことが多く、精神的には辛い仕事です。たまに実家に来ても抜け殻のように眠りこけているばかり、休日でも緊急の召集が掛かる事があり病院から1時間以内に滞在が求められる。近くにいるのに1年間来訪なし。  
  生死をさまよう時の医師や看護師の励ましが命を救う時もありますが、やはり処方した薬が効くかどうかが勝負になります。そんなときには持ち合わせている知識と経験をフル稼働させて対処します。それでも助からない時の喪失感はサラリーマンの領域にはありません。    
  息子が自分の仕事を「ボランテイアだ」とよく言っていたことが最近やっとわかってきました。夜勤明けでも患者が重篤になれば帰るに帰れません。  
  今は処置側にいてもいつ患者側に変わり、重篤に急変しないとも限りません。「家族の方を呼んで下さい」という事態を想定して昨年から1滴も酒は飲んでいません。  
  ただ、1つ嬉しい報告がありました。「正月は行けないけれども長男が同じ薬科大に推薦入学が決まった」。入学が決まった事よりも寝てばかりいる父親の後ろ姿を見ていても同じ道を歩もうとしている孫が愛おしい。これで一生酒が飲めなくなりそうです。           
  註(1月21日中野での野菜教室の資料を転載しました。)