「 恩 師 向 井 先 生 」

 
令和3年7月
田附 英和(彦根市出身 さいたま市在住)
  私にとって「ふるさと」といえば高校時代の3年間を思い出します。高校ではバレーボール部に所属していました。その時の顧問の先生が向井先生です。
  向井先生は、ニックネームが「テキサス訛り」の英語の先生で、クラブ活動にも熱心な方でした。当時、彦根東高校バレー部は人材に恵まれ、県大会ではベスト4に入るなど強豪校でしたので、クラブ活動が本業になっていたのかもしれません。2年下の後輩たちは優勝しています。
  平日は授業が終わるとすぐ外でボールが見えなくなるまで練習を行います。定期試験中でも練習をすることもありました。夏休みは、午前中は炎天下のバレーコートで、午後は体育館で一日中練習します。市内の寺を借りて合宿も行いました。
  しかし、我々生徒にはクラブ活動のほかに勉強があります。それでも先生は「受験なんか英語と数学だけ毎日していれば何とかなる!」と練習の手を緩めることはありませんでした。高校時代の辛く厳しい3年間のおかげで、社会人になってから幾多の艱苦に堪えることができ、その後の人生の礎が出来たことは間違いありません。
  向井先生は、平成21年3月19日がんとの闘病の末69歳の若さで亡くなられ、今年13回忌を迎えました。当時のメンバーは、退職し社会の一線から退いています。この機会に、当時のOBが集まることが企画されています。出席予定者は100名以上に上り、今なお、先生を慕うものが多いことに驚いています。
  私は、向井先生の指導の下で完全燃焼した日々のことが、今も鮮明に記憶に残っています。この時、育まれた母校愛、郷土愛が、彦根を離れて45年余たった今も心の中にあります。まだ記憶に新しい2017年夏の第99回全国高校野球大会に母校が出場した際は、応援のため甲子園に駆け付けました。若い後輩たちが活躍してくれるのは大変嬉しいものです。高校時代、恩師向井先生のもとでバレーボールに打ち込んでいなかったら、このような母校愛も郷土愛もなかったかも知れません。