冥土の土産のボランティア
令和3年9月
佐橋 哲隆(さいたま市在住)
東京2020オリンピック・パラリンピック大会ボランティアの募集(応募人数8万人)が2018年9月からあり、喜寿を迎えて冥土の土産と応募したところ、2019年3月に採用通知が届きました。 2019年10月23日に共通研修を国立オリンピック記念青少年センター(代々木)で受講した際、講師から競技種目のジェスチャー表現者3名の要請があったが、受講者約300名の中からただ1人の女性のみが名乗りをあげただけで私を含め誰も続く者がいなかったのです。この時なぜか私に座右の銘「克己」が目覚め、2人目として挙手する自分がそこにいたのです。 
  研修が終了して会場から出たところ、突然、競技大会組織委員会広報局のデイレクターから声をかけられ、研修の経緯からボランティアの動機を質問され、これが発展して12月9日オリンピックの記録映画を担当される映画監督の河瀬直美さんから、カメラが回る前でボランティアの一員としてインタビューを受けました。 全てが初体験、瓢箪から駒かなと思いながらも誠に身に余る光栄なことと、ただ恐縮するばかりでした。 
  2020年になり何回かメールによる研修を重ね、3月になって担当がゴルフの競技運営のサポートになり、会場は霞ヶ関カンツリー倶楽部でしたので、できたら柔道の会場にと淡い希望を持っていたが残念でした。 しかし3月25日、コロナウイルス感染拡大のため1年程度の開催延期が決定され、同30日にはIOCとJOCの合意により2021年7月23日開催と決まりました。 
  12月21日パラリンピックの担当は、馬事公苑(世田谷)でのアクデイテーションチームと決まる。2021年4月ゴルフ場の霞ヶ関カンツリー倶楽部を下見したが、川越市に所在する日本だけでなく世界でも屈指のゴルフ場であるにも関わらず、JR.川越線の川越駅から高麗川・八王子方面の電車は単線の上1時間に2本とローカル線でとても不便であることを初めて知り、世間知らずにも程があると恥ずかしく思いました。さらに最寄り駅の笠幡駅無人駅で、駅から徒歩15分であるが、ゴルフをする人は自家用車等のためなんの差し障りもないことであると分かりました。
  5月28日ボランティアの七つ道具(帽子・ユニホーム・ズボン・靴・マスク・靴下・トートバッグ)を六本木のUACで受領し、この時首から下げる身分証のアクレデイテーションカード(IDカード)を発行してもらい、この時ボランティアの実感が体全体に伝わりました。6月に入り会場別研修を各会場で受講し、準備万端整い開会を待ったが、正直「安心・安全」の大会が開催できるのか疑問があったのは事実で不安もあったが、やる以上は自信をもってベストを尽くし自身を輝かそうと決心しました。
  競技種目 ゴルフのボランティア(霞ヶ関カンツリー倶楽部)
  7月29・30・31・8月1・4・5・6日の7日間。
  早い時の現地集合が午前6時30分のため、4時起きしての始発5時4分でギリギリのスケジュールです。 会場に着くと、まず入口で消毒と検温・本人確認のアクレデイテーションカードでの身分確認と顔認証・手荷物検査(X線)・身体検査(X線)であるが、手荷物は支給されたトートバッグに収まる程度の限定量。さらに100m先の受付で、再度のアクレデイテーションカードの確認後チェックインと、徹底した厳しいチェックが行われた。 受付で昼食券(弁当)を受け取り、机上に並べられた塩飴・ペットボトルの水分・クーリングボディシート等を自由に取ってバッグに詰め、約500m離れたコースの一角に設置されたFOP(フイルド・オブ・プレイ)チームの待機場所(テント)へ移動したが、FOPチームとは競技エリア内での活動をするチームです。 主に
①ホールマーシャル担当 コースのテイグランドやグリーン周りで、選手がプレイに入る直前から
  周囲に静粛を求める「お静かに」のボードを掲示して、選手がプレイに集中できる環境作りを
  お手伝いするもの。
②キャリングボード担当 各組の選手のスコアをホールごとに修正表示しながら、スコアボードを
  手で掲げて選手と一緒に9ホールを歩いて回るもの。
  その日ごとに①か②と担当ホールが指定され、約10~20人がチームとなって配置されたが、無観客のため入場を許された報道関係者・大会関係者・ボランティア等の誘導となり、余裕がうまれたので各選手がプレイする約5m~10mの距離でしっかりと見ながら活動しました。各国の代表選手は、男女とも合計60名が3人1組となって順次コースをプレイするのですが、お馴染みの松山英樹・星野陸也・畑岡奈紗・稲見萌寧・笹生優花等各選手の素晴らしいショット等を間近で見られ最高でした。
  活動中は猛暑でしたが、意外とコースは木陰が多く風通しもよかったので助かりましたが、真っ黒に日焼けしました。ただゴルフ場は雷のメッカで7月30日は雷警報が発令され、一時プレイが中断し選手もボランティアもコース上のすべての人が、前もって設置されている近くの避難テントに避難するのです。各避難所には避雷針が設置され安心ですが、自分の位置から近くの避難所まで約10数分かかったり、避難解除で元の場所に戻ろうと約50m歩いていたら再度の警報で後戻りして待機所で待機中に、よく言うバケツをひっくり返したような豪雨となり、残りのプレイは翌日に延期と決定し、雨と雷警報の解除を待つまでの午後7時まで缶詰状態が続きました。楽しみの食事ですが、8時までの現地集合の場合は朝食の弁当があり、昼食も同じような弁当であまり代わり映えしないハムバーグや唐揚げ・卵焼き・少量のポテトサラダ等で魚は1回も出ませんでしたが、デザートには程遠いステックのアイスが満足感にしてくれました。それにおまけみたいな、嬉しいサプライズが待っていました。活動3日目にロゴマークの銅のピンバッチ・5日目に銀のピンバッチ・7日目には金のピンバッチか抽選によるスイス製スウオチの腕時計が当たるもので、いつもはくじ運が悪い私にも運よく腕時計が当たりました。万歳!万歳!思わず両手を挙げて叫んでしまいました。これで冥土へ良い土産が出来ました。
  失敗もあります。キャリングボードを担当して、事前に選手の前を横切らないように注意を受けていたのですが、3人のスコアを表示する際、各選手の名前と本人の確認が難しく、ウエアの色で区別しながら行い、ゴルフには疎くスコアがピンと分からず、スコアラーに聞きながら慌ててボードの表示を修正しているうちに、無意識に選手の前を横切ってしまったのです。  引き続き行われているパラリンピックでも、ボランティアで馬事公苑へ行ってま~す。
 
オリンピックモニュメント前に立つ 佐橋さん 同じくパラリンピックモニュメント前で