事務局長拝命からの振り返り

 
令和4年8月1日
前事務局長 新納 桂
  入会後すぐに山田会長から事務局長の依頼があり、理事会・総会で承認を得て事務局長を拝命して今日まで務めて参りました。ご支援頂きまして有難うございました。  
  私事、神奈川県で生まれ2歳で疎開し、なだらかな柔らかい山容の綿向山の麓日野の 地で育ち、八日市高から大学への進学で上京し、東京・埼玉・茨城・を経て再度、会社の社宅のある埼玉越谷の地に落ち着くこととなりました。   読売新聞の記事で埼玉滋賀県人会の会員募集をしているのを知り、早速問合わせたら 山田会長のソフトな声で早速入会した次第です。  
  “絆”を大切にし、同じ湖の水を飲んだ者同士が隔てなく支えあって行ける下地があったとは言え、振り返りますと総会・新年会・理事会・幹事会(絆の会)等の進行、段取りなど、特に会則の制定(原案は退会されている山口幸長氏)等は忘れることが出来ない思い出です。  
  一番の思い出は技術系である私を、常盤海浜公園の地鎮祭の際総務系に引き抜いた前会社の方々で、それ以降総務系で進むこととなり、三井不動産の造園会社として十数名の社長にお仕えしてきましたが、総務部長も三井からの出向者でした。  
  また、当時の三井銀行の図らいで、岐阜のイビデン関連の法面吹付がメインの会社との合併、それもある日突然発表というものでした。その会社は大阪万博の岡本太郎作の太陽の塔の吹付工事を担当した実績ある会社です。  
  合併前後に当社の担当した工事は、超高層霞が関ビルの外構造園、舞浜の大型レジャーランド造園、都庁第二庁舎造園、茨城美穂トレーニングセンター造園(一部)等でした。私は総務として安全衛生パトロール等に参画しました。  
  そういった事に接していたので、つたないながらも事務局長が務められたものと感謝しております。
  15周年はコロナの影響でアッという間に通り過ぎて行ってしまいましたが、20周年に 向け新しい体制で進めて行くべく横田 昇新事務局長共々よろしくお願い申し上げます。  
  若い青年会員、婦人会員の参加、活躍等を期待しています!