星 の 思 い 出

 
令和4年10月1日
武田将彦 (近江八幡市出身)
  小学校三年生の頃、母方のおばさんより星の絵本をいただきました。多分野尻抱影さんの最近になって手に入れた「写真で見る 星と伝説」のような絵本だったと思います。内容は、“北極星が動いた””カノープスの見える丘“”しし座の流星群で昼間のように明るくなった”などのお話が脳裏に残っています。この本で星が大好きになりました。五年生で将来何になりたいかを絵で表した授業で、当時男の子は、汽車の運転士さんや野野球選手が人気でしたが、私は昼間でも星の見える望遠鏡を作り、星を観測したいと天文台の絵をかきました。この頃の空は澄んでいたので、天の川はミルクウエィそのもの、五.六等星までの星が満天を埋め尽くしており、夏休みには同級生たちと小学校の運動場で何日も星の観測をしました。
  そして中学三年生の夏休みに科学部の若い先生に、田上(現:草津市)の山本一清先生の自宅兼天文台に連れていただきました。その時、山本先生は京大の天文学の第一人者のお偉い先生と聞いていたので、すごく緊張してお伺いしました。天文台は坂を上がつた小高い丘の上にあり、木製の屋根の開閉は長い丸太で動かすどだと説明を受けました。山本先生は、最初に君たち「北はどちらかなぁ」の問いかけがあり,あてずっぽうで答えたところ、星が好きならば常に北はどちらか意識しておくようにと言われました。このことは今でもはっきりと記憶しています。山本先生は、天文学はアマチュアの協力と共に進歩した学問であるとの考えに基づいておられたので、中学生の私だちでもお会いしていただけたのかなぁと今頃になり感激を新たにしています。
    また小学生の遠足で望遠鏡のレンズの研磨で有名な木辺(現:野洲市)の錦織寺(真宗木辺派本山)に行ったことも覚えています。この時お話をしていただいたのが、木辺成麿さんだと考えられます。望遠鏡で星を観測したいと思い、京大花山天文台の中村技官の指導を受けて,念願の天体望遠鏡を手に入れられました。
  初めての観測で、神秘なまで美しい土星のリングをみて感動したそうです。20歳の時、中村技官の後を受け継ぎ、技術をみがき次々大きな反射望遠鏡を作られました。望遠鏡に欠かせないミラーを生涯二千面も作り、天文学の進歩に大きな足跡を残されました。平成四年火星と木星の間にある10kmほどの小惑星が発見され、kibeshigemaroと名付けられています。 また昨年秋に旅行した時立ち寄った南アルプス市芦安山岳館で北岳や鳳凰三山と星の写真に見とれて、帰宅後、野尻抱影さん「星は周る」読み返しました。北岳の麓の広河原で寝そべって星を見ながら『谷の空に青白い星が光っているのが目に入った。それは、織女―琴座のヴェーガだった。この瞬間に僕は「お前、そこに来ていたのか」と声をかけたいほどの懐かしさを感じた。何時も庭で見ている星が、この遠い南アルプスの谷まで、こっそり尾いてきていたという感じがしたのだ。星に親しんでいないと、分からないだろうと思う。』と。
  家内とは子育てを終えてから、毎年花の山と温泉の旅を続けましたが、北岳は、アキレス腱を切ったので最後登った高山です。しかしなぜか、山小屋で満天の星に出逢った記憶は浮かんできません。