近 江 人 の ルーツ

 
令和5年1月1日
横田 昇(長浜市出身さいたま市在住)
  近江を離れ半世紀以上が経過した。もう近江には帰らずにこの武蔵の国が終の棲家となります。子、孫、そして未来の子孫も近江で生活することは稀だと思っています。
  現在の自然人類学では、遠い祖先(1万年前までも)の人骨、型、血液、遺伝子の解析により日本人は、近江人(近畿人)はどこから来たのか判明できる時代となった。
  何時、どこから我々の祖先がやってきたのか、この祖先への関心は誰もが抱く共通の心情である。
  アフリカで誕生した人類が太平洋の島々に移り、さらに東南アジアから日本列島に移り住んだのが10万年前である。そして自然の恵みで生活する縄文時代(1万年前~紀元前200年頃)はクリ、ドングリ、栃の実を主とした森林環境をバックに豊かな文化を築いた。このころの男性は身長155~160cm位強い筋肉をもち丈夫な骨格であった。縄文時代の中心は、豊かな自然をバックにした愛知県以東   関東・東北が中心であった。なかでも東北が文化的にも人口的(全体で20万人位)にも中心であった。
  弥生時代は、紀元前200年頃日本列島に北方系アジア人が朝鮮半島経由で移住し 始まった。北方系アジアとは中国北部、モンゴル、満州地方と推定される。その頃は秦の始皇帝が中国を統一した時代である。滅ぼされた民族は難民となり各地に逃げた。その一部が朝鮮半島経由で日本列島に押し寄せ、数はそれほど多くはないが何しろ稲作農業や高度な文化・武器を携えてことである。北九州か山口県に上陸し瀬戸内海沿岸をたどり縄文人と激しく戦い一方縄文人と混血し支配地域を拡大、近畿地方で勢力を伸ばし弥生時代後期には卑弥呼がうまれ、古墳時代に日本王朝の創立者なった大王が誕生した。
  現代において人類学的調査を行うと、近畿人(近江人)、瀬戸内海沿岸、北九州一部は他の地域(縄文人=原日本人)と人類学上明確な違いがある。すなわち縄文人の地に外人として来たことが解る。近江人(近畿人)は特殊とよべるほど原日本人との違いが判明している。
  王朝として初代神武天皇が誕生したがその後25代天皇で血筋が途切れた。そこで応神天皇5世の孫で26代天皇となったのが継体天皇である。継体天皇は近江坂田郡の豪族息長氏の一族で、高島郡三尾野を治めていた。ちなみに聖徳太子は継体天皇のひ孫である。天智、天武天皇を経て現代の天皇家まで近江人である継体天皇の血筋が続いているのである。
  近江人のルーツを探求していくと日本の歴史そのものであることが解る。