長浜市「観音の里」の観音像を拝観して
 
令和5年7月1日
小竹裕中(長浜市出身春日部市在住)
  滋賀県湖北地域は、平安時代から仏教文化が栄え、室町時代以降の戦乱の中で、(織田・徳川軍対浅井・朝倉軍による「姉川の戦」など)農民や地域の人たちが戦禍から観音像を守るために、田んぼなどに埋めて大切に守りました。その観音像が湖北地域(長浜市)には、100か所ほど点在しており、今も地域住民の人が本尊とし、世話をして守っています。
  近年は、観音像の世話をしている人達の高齢化による後継者不足や、お堂の老朽化が進んでおり、文化伝承・保存の為に、長浜市は地域の所有者と、調査をした所、観音像やお堂の修理や、盗難・出火の消化設備などの整備が、必要になる事がわかりました。
  長浜市は「観音の里」の名前を高めると共に、修理など保存に向けた支援の輪を広めるため、令和3年に東京駅近くのビルの1室を借りて、「東京長浜観音堂」を設け、令和4年度には年間4回、長浜から観音像1躯を運びこみ、展示されて来ました。   落ち着きのある部屋に入ると、正面には観音様が展示され、観音様の説明ビデオがながれており、観音様の説明パネルなども、展示されていました。入場無料(東京展示会場・写真1)
  東京で展示された中で、印象に残った珍しい1躯を紹介します。 「木造地蔵菩薩立像」  滋賀県長浜市高月町洞戸自治会 保存(写真1・2)
2躯が保存されており、その1躯は、江戸時代の鞘仏(さやほとけ)、もう1躯は室町時代の胎内仏。   
  胎内仏は、織田信長による兵火でお堂が焼ける際に、村の老人が自らの腹を切り、仏像を腹に入れて、戦禍から守ったという伝承により、昔から村人達に守られてきた胎内仏を納めるために、鞘仏が作られた。
  鞘仏の背中に蓋板がはめられ、胎内仏を納入する工夫が凝らされており、胎内仏はヒノキ材の1木造りで、右手先が欠け衲衣には墨で簡素な文様が描かれています。
  観音像を拝観していると、心が癒され幸せな気分になり、パワーを頂きました。 そのほか、湖北地域には多くの観音像が有り、「観音の里をめぐる旅」などのツアーが、長浜で開催されています。
「観音の里・長浜」に付いての興味のある方は、長浜観音倶楽部事務局(長浜市役所内)まで、お問い合わせ下さい。  
    〒526-8501 長浜市八幡東632番地 電話番号0749-65-6376
  
展示会場 鞘 仏 胎内仏