ひ孫が書きました

103歳の育ての母 達者なり

 
令和5年3月1日
加藤 慶子(栃木県出身さいたま市在住)
  栃木県の実家より秋の取り入れが一段落したとの知らせがあった。 ここに暮らす育ての母である叔母は、103歳の誕生日を迎える。 そうだ!お祝い会を計画しよう。叔母は自分の子3人に加え、私と弟計5人を育ててくれた。(私と弟の実母は30歳で病死)。  
   それぞれにお祝い会の伺いを立てたところ全員賛同。当時の5人は今や70代80代になった。当日「ただいま」と実家の玄関へ。叔母は毛糸の帽子を被り、ふわっとしたケープを肩に掛け、炬燵にあたっていた。相変わらずしゃんとした姿で。まもなく叔母の子:孫 :ひ孫たち総勢20人が集合した。  
  祝宴の席では「おめでとう、おめでとう」の声が続く。叔母は今日の喜びを、そして 昔話を始めた。私の弟が宇都宮の高校への3年間は、叔母は毎朝4時起床。大きな釜でご飯を炊き、お弁当を持たせたこと。それも麦ごはんでは不憫だとさらし布で袋を作り、そこに白米を入れて麦飯といっしょに炊き上げたこと。また今自分が元気で子、孫、ひ孫たちの姿が見られることは、最高に幸せと話す小柄な叔母がなんと大きく見えたことか。私と弟が お世話になった昔を思い胸が熱くなった。なにせ呆けていない。旺盛な食欲。何事にも感謝する心を持つ自慢の叔母いや母である。日没になり別れを惜しみつつ各々那須、日光、宇都宮、さいたま、東京へと帰路についた。  
介護保険 使わぬ誇り口にせぬ103歳の母 米研ぐきょうも
103歳 鉄人母はジャイアンツ 勝てばひと口 清酒所望す
縁側で 日なたぼこ兼ね103歳の 母が繕う息子の野良着