歌 は 我 が 命


令和6年7月1日 
下田 道子(米原市出身 さいたま市在住)
  私は歌が大好きだ。子供時代『美空ひばりから唱歌』まで歌いまくっていた。合唱を始めたのは彦根の学生時代、合唱部に所属したからだ。合唱部での仲間(女子ばかり)とは合宿したり、同年は勿論先輩達ともほぼ毎日位一緒にいた、楽しい思い出ばかりである。
彦根という町が学生時代の思い出を深くしている。京町は母の実家であり、街並みもアーケードが長く続き、商店街で活気に満ちていた。
少し外れて映画館があり、その通りは「彦根銀座」という旗が空中を泳いでいた。
彦根城を中心に仰ぎ学生の多い街だった。駅前に一軒の古びたコーヒーショップがあり、友人達とお茶したり歌ったりしていた。
  昭和35・36年ころの話である、滋賀大経済グリークラブとも
 
よくコンパをした。
その頃はお会いしていないが県人会麻雀仲間の千葉のO氏もグリークラブ出身、今もいいお声だ。
  その後就職して一時長浜市民合唱団にいた、彼氏もできたが
私は田舎暮らしを捨てた。
  25年間滋賀に住み結婚。夫は音楽大嫌いである。35歳で再就職、仲間が入っていた浦和市内の女声合唱団へ、その縁で杉戸から浦和に居を移した。歌嫌いの夫も夫々の趣味を尊重して協力的であった。それから47年も歌っている。
年齢は計算出来ましたネ。
  2つの合唱団を同時進行したりして思えば8団体、現在は女声コーラス『コール・プイデ』に
所属、今秋のコンサートに向けて猛練習中である。暗音がきつくて泣きそうになるけど、ドレスに身を包んで、見に来てくれた家族やお客様の前で歌えるのは、幸せと感謝で一杯になる。
『歌は我が命』である。