中村文雄埼玉滋賀県人会2代目会長 追悼


令和6年2月6日 
前 埼玉滋賀県人会会長 山田 正
  昨日中村文雄会長の入会申込書を見ていましたら趣味の欄に「ゴルフ、登山」と書いて ありました。2005年に入会してくれて、ずっと18年間、会の運営 に協力してくれてきました。
当初、県人会の事務所は東日本橋にあったので中村会長の勤務する事務所とは 近くて自転車で打ち 合わせによく行きました。 ゼロからスタートした会だったので彼の若いバイタリテイは会としても大変 助かりました。彼には主にイベント関係の立ち上げや運営の総責任者になっ てもらいました。
  バスハイクや滋賀県へのふるさと旅行などの計画立案と 運営はすべて彼に任せていました。沢山の 思い出を作れたのは彼のおかげ です。学生時代は演劇部に所属していたというので県人会発行の会報 にも 10回にわたって「フーさんのおもろい小噺」と題して匿名で連載してもらいま した。読んだ人を クスクスと笑わせてくれました。 私に対しても、いつも苦虫をかみつぶした顔をしているのでよく、 「会長スマ イル、スマイル」と言ってピースサインをして笑うように仕向けてくれました。何よりも 新年会や総会で私の話が長いのでいつも司会役の彼が「短く、 短く」と注意のサインを送ってきました。
昨年暮れに発行した直近の県人会会報第24号で、三日月知事が直接寄稿してくれてトップに掲載され、 本来なら次ページに会長挨拶が載るはず ですが真中辺に、故郷のふなづしについてにごろブナの幼魚が ブラックバス に食べられていることを心配して書いていました。
  謙譲の心得のある人 でした。中村会長の下の名前は文雄で今の総理大臣と同じ名前です。喪主である 奥様の名前も文子さんです。浄土真宗の第8代門主蓮如上人 が檀家の人たちに送った手紙が80通ほどあり、それらを「御文さん」と いいます。その中の一つに「白骨の章」があります。皆さんはどこかで 一度は 聞かれたことがあるはずです。 「明日(あした)に紅顔あって夕べには白骨となれる身なり、哀れというも 中々おろかなり」。「おろか」とは今の言葉とは意味が違いますが、この悲しみ をどんな表現をしても言い 尽くせない、不十分という意味です。1月20日の新年会で元気な姿で新年の寿ぎを述べていましたが今日 白骨 の身となられます。たまたまこの会報に奥様の投稿も掲載されていました。二人のおふみさんが1冊の 文集に収まっているのでこの1冊納棺していた だきたく、持参しました。また、話が長いと向こうから叱ら れているような気がするのでこれで終えます。
あなかしこ あなかしこ (漢字で書くと「穴 賢しこ 穴 賢しこ」(ああ、かしこい ああ、かしこい)