60年をふりかえり


令和6年5月1日 
相坂 音二郎(日野出身 越谷市在住)
  約60年前の昭和39年3月 滋賀県日野町より近江鉄道米原経由、東海道線の 夜行列車で上京し、日本橋の婦人服地問屋に就職しました。(東海道新幹線は10月 に開通)。そして杉並区の男子独身寮に入寮しました。当時は中央線の高架工事中でした。 夜中に中央線の汽車の汽笛がポーと鳴ったのがなつかしく思い出されます。  
  その後、昭和43年7月に日本橋、中野、高円寺、阿佐ヶ谷の4か所の寮が合併し 越谷に男子のみ18才から28才までの約100人が入寮しました。当時は越谷駅前広場が、 夕立がすると水たまりが沢山でき、革靴では帰れず居酒屋によく立ち寄りました。
  寮の裏には小川が流れておりふなやメダカが沢山いました。また夜中に食用ガエルを 取りにくる人がいて、突然窓ガラスにライトが照らされてよく起こされました。  
  現在の越谷駅前は広場も整備され、高層マンションが建っています。また東武線も 北越谷まで高架になり、名前も東武スカイツリーラインと変わりました。電車の窓から 冬の晴れた日には富士山、秩父連峰、日光連山、筑波山が望めます。  
  埼玉県人となり約55年になります。現在は私達夫婦、長男夫婦、孫3人合計7人と ハムスター1匹同居して大家族ですごしています。お正月には長男一家5人のみで、私の 実家で新年を迎える予定です。

越 谷 駅 前