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令和6年11月1日 瀬川 公三(春日部市在住 日野町出身) |
今では謄写版という言葉を知らない方のほうが多いと思いますが、この印刷手法を繁栄させた のが滋賀県東近江市(旧、蒲生町)の人で、今はその本家を改修し『ガリ版伝承館』として残され見学する事が出来ます。この記念館の管理・案内をボランティアで近くに住んでいる姪子
や友人がやっている関係からPRを兼ねて書きました。 私は帰郷のおり『ガリ版伝承館』の前を通って、近くの一杯飲み屋に行っしまうので『ガリ版伝承館』には一度も入っていません。 歴史書等には近江商人でもあったこの地の、堀井新治郎が1893(明治26)年に米国シカゴで 開催された万国博覧会で、トーマス・エジソンが発明した謄写版の原型と出会い、高価で実用性 のないものから堀井耕造(子)と親子で研究・工夫を重ね、もっと安く簡素化を図った謄写版を 製作し発展定着化させたとあります。 東京・神田鍛治屋町に『堀井謄写堂』を起こし、官庁・大学・病院・会社さらには軍隊など多くの所で謄写版は使用され事業を大きく拡大した様です。しかし、1970(昭和45)年代に 入って複写機や理想科学工業の簡易印刷機「プリントゴッコ」さらにはワープロに押され1987 (昭和62)年に謄写版の生産を中止した経緯があります。 この謄写版ですが、1995(昭和30)年頃までに生まれた人達には馴染のある言葉と思います。 謄写版とは印刷手法の名称で、蝋引された薄い和紙(原紙)をヤスリ板の上に乗せ鉄筆を使って 文字や線・絵を原紙に書き、油性インクをローラーに付けて紙に印刷する手法で、鉄筆からの ガリガリという音から〚ガリ版〛と呼称され現在もマニアの間では利用され親しまれているようです。 私も小学生時代に学校で放課後の時間などで、学級新聞・答案用紙・文集・遠足のしおりの 作成で使っていました。文字や線を修正・消すのはその箇所にローソクの蠟を擦りつけ印刷用の 原紙を作り、謄写版でワラ半紙に1枚づつ印刷した経験があります。読めない字や乱暴な絵を 書くと先生からよく注意された事や、油性インクによる手衣服への汚れやローソク火(寒い時期 は蝋を溶かすため)で原紙を焦がすなど懐かしい思い出がたくさんあります。 |
東近江市ガリ版伝承館 | ガリ版伝承館 展示品 |
【所在地・・・滋賀県東近江市蒲生岡本町633番地】 |