中学・高校時代の思い出


令和7年4月1日 
佐橋 哲隆(日野町出身 さいたま市在住)
  私の出身は蒲生郡日野町西大路です。生涯現役修行を目標にしている柔道を始めたのは中学1年生からです。きっかけは父が旧制中学で柔道を通じて克己心が養われたと話してくれたことから私もやりたくなったのです。
  昭和30年3月一町六村が合併し日野町が発足、私は日野町立日野東中学校に入学しました。学校には柔道部がなくどうしてもやりたくて日野高等学校の近くの斉藤接骨院の道場に通いました。稽古は夜で自転車で40分位かかり、着くと「休み」の貼紙があることが多く、気が滅入り「畜生」と自分を罵っていた記憶があります。稽古が出来ない苛立ちを察してか、父は警察署に頼んで道場を借り稽古相手をしてくれました。徐々に実力も付き父を投げ飛ばすこともあり、そんな時は笑いながら「もう一丁」と嬉しそうにしていたのが昨日のように思い出されます。
  でも部活への憧れが強く柔道を仲間と一緒にやりたい一心で、仲間作りを始め半分無理矢理の人も含め5人集まりました。そして担任の先生に相談して顧問になってもらい、校長先生に嘆願して新たに柔道部が発足しました。体育館で体操部が使っていないマットを借り見様見真似で稽古をし、マットが使えない時は警察署の道場を借りたりしました。その努力の結果昭和32年の3年生の夏、第10回県民体育大会に初出場して団体3位に入賞したのです。まさしく青天の霹靂です。学校では大ニュースになりました。
  大会後慰労のため部員有志で三重県の海に自転車でキャンプに行き、息抜きと絆を深めた楽しい思い出があります。高校は母親が学んだ県立日野高等女学校が昭和23年に男女共学の県立日野高等学校になり、私が入学したことで親子での母校になりました。入学即柔道部に入部し別棟の道場で稽古に明け暮れました。当時は稽古中暑くて汗をかいても喉が渇いても水を飲むことは御法度でこれが当たり前で、今とは雲泥の差でした。汗臭い道場に風を入れるため引戸を開けっ放しにしており、休憩中は隣のコートでバレーボールの練習をしている女の子の姿が目に映りほほえましい光景でした。
  もう1つの思い出は、毎年開催される運動会に全学年のクラス別応援合戦があり、創意工夫を凝らした出し物に笛や太鼓で盛り上げて順位を競い、私達のクラスは1年生で4位3年生で優勝とそれなりに青春を満喫しました。
県民体育大会 後列右から2人目 キャンプ 後列右端 昭和34年3年生送会 後列左から4人目
運動会応援出し物