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令和7年8月1日 原田 稔(大津市出身 さいたま市在住) |
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| 私は大津市に生まれ18の歳までそこで暮らした。今ではそこに住居は無くなったが、親族の 墓参りや、中学・高校の同窓会などで数年に一度は故郷の地を訪れている。その際、市内での移動には大概の場合京阪電車を利用しているのであるが、それにはちょっとした理由がある。細長い地形の大津ではそこを南北に貫く京阪石山坂本線(石坂線)や京都へ繋がる京津線を使うのが便利という合理的な理由もあるが実はもっと強い動機はそれが私の在りし日(過去)への旅心を呼び起こしてくれるからなのだ。
何しろ石坂線沿線は名勝旧跡や歴史の舞台となったところが多い。主だった寺社としては日吉大社、近江神宮、三井寺、義仲寺、石山寺と有名どころがずらりと並ぶ。史跡は坂本の街や穴太、近江大津京跡 、茶臼山古墳、膳所の城跡、瀬田の唐橋などいずれも石坂線の駅のほど近いところにあり、近江八景のうち五つ(瀬田夕照・石山秋月・粟津晴嵐・三井晩鐘・唐崎夜雨)までもカヴァーしているのだから歴史観光ツアーにはうってつけなのである。まあ大津は何を隠そう、重要文化財の数が市町村単位(東京都は除く)では京都、奈良に次ぐ全国第3位というから当然の結果とも言えるが、それにしてもこれほど見どころが多くその密度が高い電車路線は珍しいのではないだろうか。 大津にいた年少期の頃私は随分とこの石坂線での小さな旅を楽しんだ。親に小遣いをせびって近所友達と電車に乗り市内を巡るのが一番の楽しみで、いつも最前席に陣取って飽きる事無く運転士の動作に見入っていた。友の一人はすっかり惚れこんでしまって、絶対将来は電車の運転手になるなどと宣言する始末であった。もちろんそんな電車乗りは、精々が三つか四つの駅を往復するくらいのものであったが、時には終点の坂本まで遠出をし、そこからケーブルを乗り継いで比叡山山頂近くまで遊びに行ったこともある。 また小学校の担任であった先生が郷土の歴史を熱心に研究されていて、課外学習のような形で私たちを 古代の遺跡へよく連れて行ってくれたのであるがそれも滋賀里や志賀など石坂線の沿線が多かった。帰路の車中で、遺跡発掘の真似事をして、掘り当てた土器のかけらを児童みんなで見せ合い大騒ぎしていたのも懐かしい思い出である。まさに十代の私の生活は石坂線と分かち難く結びついていたと言って過言ではないだろう。 滋賀を離れてその後何度も転居を余儀なくされたが、大津ですっかり電車の虜になった私は、住まいをなるべく私鉄沿線に求めるようになった。金沢には北陸鉄道があり、今は廃線となったが路面電車も走っていた。名古屋では名鉄電車犬山線の駅近くで暮らし、それぞれの土地で電車での小さな旅を楽しんだ。そして今はさいたま市見沼区の東武鉄道大和田駅を起点に大宮、岩槻、春日部などの近場を巡っている。 |
