12月の散歩道


令和8年1月1日 
西川 浩(野洲市出身 所沢市在住)
  高校時代の通学電車、スマホなんてなかった頃、暇な電車の中の時間潰しは文庫本でした。国木田独歩の『武蔵野』もその中の一冊。当時は武蔵野の風景を思い描いてました。まさか、50年後にその辺りには住むことになるとも思わず。  

  さて、皆さん 武蔵野というとどの辺りを思い付かれますか? 武蔵野は、ご想像の通り 今の埼玉、東京を含む武蔵国の野っぱら言う意味で、分かりやすく言えば西武新宿・川越線と東武東上線に挟まれたエリアと言う感じでしょうか。言うまでもありませんが、西武、東武の「武」の字は武蔵野を表しています。武蔵野台地にあるので、水の便は悪いし、富士の火山灰による関東ロームなので農業的にはとても厳しい所で、野っぱらのまま放置されていた地域でした。  

  独歩の『武蔵野』の様な雑木林は江戸時代の開拓の結果です。徳川家康が江戸を開いて半世紀。徐々に人口が増え食料の増産が必要になり、そこで目を付けられたのが武蔵野エリア。川越藩に開拓を命じ、この厳しい地域に合う農法を編み出しました。土地の一部に雑木林を植え、大量の枯れ葉を土に鋤き込み土地を改良するとともに、冬の強力な空っ風の防風林にしています。雑木林は、元々この様に植えられたものでした。当然 米は無理で、薩摩と同じ火山灰でも育つ薩摩芋や里芋等の芋類。この農法については、2023年に世界農業遺産に認定されています。  

  11から12月の朝、この辺りは驚くほど穏やかです。秋の収穫を終えた農閑期ならではののんびりとした空気、師走の街の忙しさとはかなり違います。雑木の落ち葉で道が埋め尽くされ、初冬の低い光が林の奥まで入り込みます。私の大好きな風景です。この季節が過ぎて年があけると、いよいよ砂嵐のシーズンがやってきます。  

  かつて独歩が描いたような、どこまでも続く林の面影が今もこの地に残ってはいますが、徐々にその風景の輪郭を失いつつあります。植林された林も土地の用途区分で「山林」とされる場所は、相続の際に手放されることが多く、限られた用途でしか使えず最近では巨大な物流倉庫ばかりが目立つようになりました。無機質な壁が雑木林を侵食していく様には、寂しさも感じます。  

  独歩の作品を通して想像していた「武蔵野」は、足元でカサリと鳴る枯葉の音と共に、確かな手触りを持ってここに在ります。もう少し、この束の間の穏やかな光を、今は味わいたいと思います。


自宅から5分も歩くと、昔ながらの風景。 雑木林の手前に、畑が広がります。
 
国木田独歩の碑は、職場最寄り駅の三鷹駅近くにあります。
写真の碑の後ろはすぐ駅舎。
この碑の周りを除くと、全く 「武蔵野」の面影はありませんが、
住所は武蔵野市となります。
現 武蔵野市が 「市」に昇格する際に、「武蔵野」の名称が広範囲なので、
一つの市が名前を独占するのは好ましくないという議論があったそうです。

 
さすがに、これは高校時代に買ったものではありません